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知らなかった・ウクライナ

2022/02/22

日本とアメリカは果たして異文化体験? かつて滞在したウクライナで見た「価値観の違い」〈AERA〉

2/22(火) 7:00配信

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ウクライナの学生、インターンシップ生たちでハロウィンパーティー。食べ物飲み物は各自持参で、会場は参加者の自宅だった(筆者・右下)

 ちょうど1年前、我が家は約5年暮らしたアメリカから日本に引っ越してきました。「やっぱり日本のほうが暮らしやすいから?」「子どもの教育にはこっちのほうがいいの?」といった質問を受けることがありますが、どちらがよりよい・悪いという思いはありません。偶然日本・アメリカ2カ国出身の親を持った子どもたちに、日米両方の文化を経験させたいという考えのもと引っ越しを決めました。

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 ただ、「日米両方の文化を経験させたい」という考えはただの勘違いではないかと思うこともあります。バイカルチャー、多文化家族、などといっても、結局はカフェに入ってチョコレートパフェとストロベリーパフェの2種類を食べさせて異文化経験だと喜んでいるようなものではないのか、と。

 大学時代、こんな経験をしたことがあります。2009年の秋から冬にかけて、国際インターンシップの一環でウクライナに滞在したときのことです。親しくなったウクライナ人の女の子とふたりで週末遊ぶ約束をし、しばらく散歩したあと、カフェへ入ることにしました。席に着き、注文を取りに来たウェイターさんに「コーヒーとブリンチキ(ウクライナ風クレープ)」と告げてあなたは? と友人のほうを見ると、彼女は何も頼まないというのです。「ブリンチキなんて家でも作れるもの」と。そして、わたしがコーヒーとブリンチキを口に運ぶのをじいっと眺めながら、おしゃべりを続けるのでした。

 あなたは、相手がコーヒー1杯飲まずにいる席で自分ひとり飲み食いした経験がありますか? わたしはそのときが初めてでした。経験のある方はおわかりだと思いますが、この状況は想像以上に調子が狂います。友人ともっと親しくなりたいと思って入ったカフェでしたが、おしゃべりなんてできたものじゃない。気まずさに押しつぶされそうになり、わたしは大好きなブリンチキをコーヒーで流し込んで早々に席を立ちました。

 また別の日。国際インターン生は、わたしのほかにも十数名いました。ドイツ、ポルトガル、ニュージーランド、インドネシア──世界各国から大学生が集まっていました。大学生が集って行うことといえば、万国共通、飲み会です。特にウクライナはウォッカが信じられないほど安く、我々インターン生は金曜日の夜にわらわらリカーショップへ繰り出し、ウォッカ各種とおつまみを買い込んでシェアハウスで酒盛りを始めました。インターン生の世話をしてくれているウクライナ人の学生たちにも「酒持ってこーい!」と声をかけ、楽しく宴会をする予定、だったのですが。

ウクライナ学生たちが持ってきたのは、半分減ったウォッカの瓶やら自家製の果実酒やら。店で新たにお酒を購入してきた人は誰もいませんでした。彼らが大事そうに自宅から抱えてきたお酒の瓶には彼らのお父さんお母さん、おじいちゃんおばあちゃんの影が見え隠れして、我々外国人はとても手を付けることはできず、その夜はなんとも酔えない宴会としてお開きになりました。

 ウクライナ人学生がなぜ外での飲食を控えているかというと、やはり高くつくからです。みな日用品は普通に購入し、バスや電車にも気軽に乗っていましたが、お菓子やお酒などの嗜好品には手を出していませんでした。では嗜好品は物価の高い国から来た外国人専用なのかというとそうでもなく、アクセサリーや毛皮製品などは外国人でも高いと思うくらい高価なのにぜいたくに身に着けているウクライナ人もいました。なんであんなに着飾れるんだろうとウクライナ人学生に素朴な疑問をぶつけると、「あの人たちはマフィアとつながりがあるから」という答えが返ってきました。

 彼らの価値観によると、成功するにはマフィアかそれなりの人間とコネクションを作ることが必要だというのです。コツコツ真面目に働いても立身出世は望めない。銀行に預金もできない。預けたお金がそっくり返ってくることはまずないから。もちろん投資もできないし、そもそも政府が信用できない。こんな国はいずれ出ていきたいが、パスポートが発行されてもビザなしで行ける国はお隣のトルコかポーランドくらいで、ビザ発行にはやっぱりお金とコネクションがいる。

ウクライナがこうなってしまったのは、すべて旧ソ連から独立したせいだ──というのが、私が滞在していた親ロシア派のドネツクの人々の考えでした。ドネツクは、現在ロシア連邦への編入を求めて独立派が「ドネツク人民共和国」設立を宣言している場所です。今ウクライナの状況を外から──特に日本から見ると、ウクライナはロシアに侵攻されそうで気の毒だとかなぜロシア軍を追い出さないんだと考える人が多いかもしれませんが、ドネツクという都市ではもともと一般市民がロシアへの編入を望んでいたという印象です。

それは2022年の今も恐らくそうで、ドネツク出身の友人たちに「大丈夫? ニュースを見て心配してるよ」とメッセージを送っても、「すべて順調」とか「今起きているのはウクライナ全体にとって必要なことなの」といった言葉が返ってきます。「大丈夫って? オミクロンなら平気よ」という調子の人もいます。見ているニュースの内容が違うのではないかと疑ってしまうほどです。

 真面目に働いても仕方ないと肩を落とす若者。ロシアに加われば旧ソ連時代のような豊かさが戻ってくると目を輝かせるおじさん。一生のうち一度でも日本に行けたらいいのになと笑う子ども。彼らは聡明で陽気で無邪気で、話しているととても楽しかったのですが、言葉を交わすたびに「本当の友人になるのは無理じゃないか」という絶望感に襲われました。社会経済に対する価値観が、日本人の自分と決定的に違うからです。

 そこへいくと日本とアメリカは、程度の差はあれ同じ民主主義国家だし、先進国だし、各国のパスポートがあれば大抵の国に行くことができるし、銀行に預金する前に「このお金、どこかへ消えてしまわないかな?」と疑う必要もない。友人を作るのも、住むのも、結婚するのも、日米間なら比較的簡単です。そんな似通った国の間を行き来して多文化経験とは片腹痛いわ、とウクライナの友人たちに笑われてしまうような気がします。

 ともあれ願うは、ウクライナの平和です。一体どうなるのが最適なのかは日本人的な価値観からでは判断がつきませんが、どうかこれ以上争いが大きくなりませんように。ナイフでブリンチキを切るわたしの手元をじっと見ていた女友だちの瞳を思い出しながら祈ります。

〇大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

※AERAオンライン限定記事

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